黎明を駆る者

第6章 盟約 8

「……五日後の夜、帝都(ランス)デ儀式が開かれるワ。大勢の貴族が皇宮に集まる、大規模なヤツよン」
 モチロン、ワタシも行くワ──そう言いつつとんとんと紙片を叩き、シネインはゆっくりと瞬きした。
「普段皇宮の最深部ニいる皇帝が人前に出て来るナンてコト、ほとんどナイの。多分……コレが、最初で最後のチャンスだと思ウ」
「出てきたところを、闇打ち!?それも、敵の本陣のど真ん中で!?」
「仲間は、モウ動いてル。後は、ランスへ向かっテ……合図を待つダケ」
「……馬鹿な」
 あくまで平明に紡がれたシネインの科白を、苦り切った吐息がばっさりと切る。
 隣で無表情を決め込むハルを仰ぎながら、アースロックは再び不安げな声を上げた。
「お前、いつか言ってたよな?ルナンの貴族は全員が戦闘員で、呪法士だって。そんな奴らがうじゃうじゃと集まっているところで、暗殺なんか出来るわけがないだろう!!」
「‘エヴァライムズ’には、高位の貴族も大勢名を連ねテル。ワタシの知り合い(・・・・)も、第一位貴族の大物ヨ。ソノひとの話によると、トップにいるのは、皇帝の側近中の側近トカ?」
 上ずったアースの声に応じたのは、どういうわけかより一層深まった笑みだった。
「……世の中、力や呪力ダケが全てじゃナイ。上手く立ち回りサエすれば、ワタシ達ニだって、勝ち目はあるハズよン」
 自信たっぷりにそう嘯く様は、まるで会心の悪戯を思いついた悪童のようで。
 絶句したままのアースロックを置き去りに、少女がするりと目を細める。おどけた風情を保ちながらも凛と輝く濃い桃色が、冷厳と此方を見下ろす赤い瞳を真っ直ぐに射た。
「……コレが、今話せる(・・・・)ワタシの情報のスベテ」
 ──後は、アナタたち次第ヨ。ハラーレ=ラィル・ヴァイナス(・・・・・)、サマ?
 遠くで再び鳴らされた鐘の音が、一日の終わりを告げつつ空を渡る。
 微かな風音を伴に黙然と佇むハルの肩を、蚊の泣くような科白が、そっと叩いた。
「……やっぱり、無理だ」
 ゆっくりと見遣った先で弱々しく瞬いたのは、茜ではなく新緑の色。
 沈痛な面持ちで紡がれたアースロックの声は、常にも増して硬く強張っていた。
「相手は、ルナン帝国の最高君主──あの‘魔帝(まてい)’だろう?そんな相手に、生半可な反逆が通じるわけがない。彼女も、その仲間も……どうかしているよ」
「…………」
 気弱な科白をあえて躱した紅玉(ルビー)の視線が、再び窓の外へと飛ぶ。
 いよいよ輝きを増した日輪の中に、火よりなお濃い紅色をみとめ……ハルは思わず虹彩を絞った。
 ルナンの‘魔帝’──ザフェル=トヴァ・カルタラス。
 帝国の象徴たる赫色をただひとり許された、唯一無二の絶対君主。
 皇宮の奥深くに坐しながら、瞬きひとつで千万無量の軍勢を動かす、恐るべきカリスマ。
 四精霊(エレメンタル)の加護を一身に受けた‘闇夜の王(クヴェラウス)’の愛し子であり、他の一切の追随を許さぬ最高位の呪法士。
 その存在に反旗を翻すという言葉の本当の意味(・・・・・)を、アースロックはおそらく理解していないに違いない。
 自由主義的な色合いが濃いフィルナとは根本から異なる、血と呪力で構成されたルナンの階級社会。そのヒエラルキーの中に在る以上、‘上’に歯向かうという事は、何よりも恐ろしい破戒に他ならない。ことに己が位階を何よりの拠り所とする貴族にとって、それは何よりも純然たる真理であり、決して越えてはならない一線でさえあった。
 実際、反抗に足る力を持ちながら、あえて死を選んだ者は決して少なくない。
 その最たる一例(・・・・・)を最も近しい身内に持つハルは、ある意味では誰よりもその事を理解しているつもりだった。
 ──近頃は、不埒な企てを抱いて分け入る輩が後を絶たぬ。
 ──‘エヴァライムズ’には、高位の貴族モ大勢名を連ねテル。
 感情のない男の科白が、凛とした少女の言葉が、蝶の羽ばたきのようにふと脳裏を過る。
 彼ら自身の思惑はともかく、その言の葉が紛れもない事実であるとするならば。
 ──頭の固い上級貴族(おえらがた)が叛逆を決意するに足る、決定的な‘何か’があった、か。いや、あるいは……。
 (にわ)かに上がった反乱の兆しに、降って湧いたようにレアルを襲った漆黒の戦艦。
 妹を連れ去った少年(ケレス)の謎めいた微笑と、森を守る男の冷ややかな警告。
 そして始まるべくして始まった、開戦へのカウントダウン。
 それらを繋ぐ、目に見えない……しかし確かな意図を以って張り巡らされた糸の存在をふと意識した時。ハルは、ぞくりと背が粟立つ音を聞いたような気がした。
 唐突に沈思を決め込み始めた従兄弟の貌を、いつの間にやら身を起こしたアースロックが不安げに見つめる。
 しかし……静まった空気を打ち破ったのは、その口から紡がれる言の葉ではなかった。

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