黎明を駆る者

第2章 迎えと別れ 2

「……そういえば、ちび達は?」
「遊びに行ったよ。ぼちぼち戻るとは思うけど……。全く、お転婆ばかりで困っちまう」
 古びた窓をがたぴしと開けたヴィスクが、ぼやき声とともに肩を竦める。
「よかったら、風を読んでおくれよ。遠くにいるなら、迎えにいかなきゃならないしね」
「ちびの追っかけに、人を使うなよ。面倒くせぇなぁ……」
 ぶつくさと渋面を作りながらも、窓枠に手をかけたハルがひょいと外を覗く。その拍子に吹き込んできた風に、紅玉(ルビー)の双眸がするりと細められた。
 エリアには二柱の神とともに風火水土を司る四精霊(エレメンタル)が宿り、そこに住まう者はもれなくそのいずれかの加護を受けるとされている。‘水’に護られた民が大半を占めるフィルナ西王国で、ハルは‘風’の恩寵を受ける数少ない存在だった。
 天裂くような大嵐も、ほんの小さな旋風も、彼の頬を撫でる風はいつ何時でも気安く、そして不思議と温かい。その相棒(・・)が若草の香りとともに運んできたのは、いかにも春めいた陽気と……そして、大層賑々しい気配だった。
「……もう、そこまで来てるぜ。相変わらず騒がしいのな」
「「「ただいまぁ〜!!!」」」
 かしましい声とともに裏口のドアが開いたのは、ハルがくつくつと声を上げたまさにその瞬間だった。
 おやおかえり、と声をかけたヴィスクの横をすり抜け、高い足音が部屋へとなだれ込んでくる。急に騒がしくなった背後の空間に向き直りながら、ハルはひょいと右手を振ってみせた。
「よぅ」
「あ、ハルにい(・・)だ」
「「ハルにいだぁ!」」
 磨き抜かれた樫の床に泥をつけてハルの元へと走ってきたのは、見事なまでに同じ顔をした三つ子の女の子だった。
 全員が薄緑のワンピースをかぶり銀髪をおさげに編んだその姿は、まるで手の込んだ間違い探しのようにも見える。今年で六つになるというヴィスクの孫娘のリナ、ルナ、そしてレナ──過去に名前を呼び間違えて何度も泣かれた経験を持つハルは、とうの昔に個々を区別する努力を諦めていたが──は、青年の着崩された士官服をぐいぐいと引っ張りつつ、口々に可愛らしい声を上げた。
「ケーキおいしい?」
「おばあちゃんのおてつだいしたの」
「えらいでしょ?」
「偉い偉い。偉いついでに、とっとと靴脱げよ。泥だらけじゃねぇか」
 苦笑とともに零れたハルの科白を聞き流し、三人娘はきゃあきゃあと楽しそうに笑った。
 あっけらかんとした祖母の態度に倣ってか、針鼠亭の近所に住むこの娘達もまた‘他とは違う’ハルの外見を特に気にすることはない。むしろ意外に子ども好きな彼の本分を見抜いてか、その足にじゃれついては後ろをついて回るのが常だった。
 その三人の大きな緑瞳は今、どういうわけか、宝物でも見つけたようにきらきらと輝いている。顔を寄せ合う子供達が何に興奮しているのか皆目見当がつかず、ハルは思わず首を傾げた。
「……お前ら、今日はずいぶん機嫌いいな。今度は一体、どんな虫見つけたんだ?」
「「「そんなんじゃないもん!!!」」」
 声をぴったり揃えての反論に沈黙した青年を見上げ、少女達は再び小さな唇を開いた。
「あのねあのね……おそらにね、すごいおふねがきてるの!」
「船ぇ?そんなもの、毎日見てるだろう?別に珍しくも何ともねぇじゃん」
「ちがうの〜!」
「ハルにい、わかってない!!」
「ふつうのおふねじゃないもん!すごいおふねなの!!」
 もどかしげに床を踏んだ三つ子に()され、ハルは赤い瞳を瞬かせつつ首をひねった。
「……一体、何がどうすごいんだ?」
「ほんとにすごいんだよ!」
 疑問符を浮かべた青年の前で、少女達はその両手を一杯に広げてみせた。
「まっくろでね、すっごくおっきいの!」
「すっごくきれいないろのはたがあって、いろんなえがかいてあるんだよ!」
「そう!みたことないけど、とってもきれいないろのはた!」
「見た事ない色って……なんだ、そりゃ?」
 呆れたように鸚鵡返ししたハルの前で、三つ子は少しだけ困ったように眉を寄せた。
「だって、みたことないんだもん」
「ゆうやけのおそらみたいだけど、ちょっとちがうの!」
「だんろのひのいろにもにてるけど、それともちょっとだけちがうし……あっ!!」
 思案とともに瞬いた六つの眼のうち、一対がハルの顔をずいと見つめる。思わず瞠目した深紅の虹彩の中で、可愛らしい笑顔がぱあっと弾けた。
「そう!このいろ!!ハルにいのめと、おんなじいろだ!」
 頬を紅潮させた三つ子が、得意げに顔を上げる。
 しかし、その刹那……幼い視線は、鈍く響いた金属音とともに、唐突に凍りついた。
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