黎明を駆る者

第3章 常夜の国へ 1

 宵を先触れする西風が、王城の真白い壁をしなやかに撫で始めた頃。
 その中枢に位置する‘玉座の間’は、烈火のような怒声と殺気に切り裂かれていた。
「どういうことだ!!」
 ぎりぎりとつり上がった深紅の瞳が、白檀の玉座に座るコーザを射抜く。傍らで青ざめるアースの視線を知ってか知らでか、固く拳を握り締めたまま、ハルは再び大声を放った。
「セレナがルナンの使者に連れて行かれたんだぞ!?許可も、事前通告もねぇ!!誰がどう考えたって、これは立派な拉致だろう!!」 
「ハル……!」
 おろおろとしたアースの声が、静まった大広間に虚しく響く。玉座の周囲に居並ぶ高官達が落ち着かぬ視線を交わしあう中、コーザは静かにその面を上げた。
 玉座を睨んで立つ青年の姿は、何ともひどい有様だった。
 括られた長髪は散々に乱れ、白い士官服は灰と煤とで目茶目茶になっている。その両袖が肘辺りまで焼き切れているのをみとめてか……細められた翠緑玉(エメラルド)が、ほんのわずかに険しさを増した。
「それなのに何もしねぇで様子を見ろだと!?ふざけるのもいい加減にしろ!!」
「ハル、止せ……」
「うるせぇ!!」
 肩にかかった従兄弟の手をおもいきりはねのけ、ハルは再びコーザに向き直った。
「そもそも、こんなくだらない話をしてる時間なんかねぇんだよ!! 戦艦(あいつら)レアル(ここ)を発ってから、まだ半日だ。どんなに速い船でも、まだ‘入らずの森’の上にいる。今ならまだ間に合うんだ!!」
 嗄れかけた喉を絞って叫ぶ声に、しかしコーザは応えない。沈黙を保ってただ座す王を苛立ちとともに見つめながら、ハルはきつく唇を噛んだ。
「何かあってからじゃ遅いんだ……!ルナンが、てめぇらの言う‘とんでもなく残虐でひでぇ国’だっていうなら尚更だろう!!もしもセレナ(あいつ)が殺されでもしたら、どう責任取るつもりなんだ!?」
「……セレナはヴァイナス家──ルナン帝国の第一階級貴族の直系の姫。しかも、おぬしと並ぶ正当な家督相続者だ。歓迎こそされ、危害を加えられることはよもやあるまい」
 半ば割れた必死の科白にようやく応えたのはコーザではなく、その隣に控えるシェザイアだった。
「だが、問題の争点はセレナの安否ではない。もっと深く……複雑な話なのだ」
 御前試合の会場から飛んできたのであろう、仰々しい儀礼鎧に身を固めた大将軍の気配は、いつもに増して(いか)つく重い。苦虫を嚙みつぶしたようなその顔には、突然のルナンの蛮行への驚きと……そしてそれを察知することができなかった自分自身への苛立ちが浮かんでいるようにも見えた。
「おぬしも知っての通り、我が国とルナン帝国の休戦協定は来月で一旦切れる。今ことを構えれば、即座に戦に突入してもおかしくない。それだけは……何としても避けねばならぬ」
 手甲の内で拳を握ったシェザイアを、音も無く上がった王の右手が静かに制する。沈黙した大将軍からハルへと視線を戻しながら、コーザはようやく思い口を開いた。
「……我が国は、此度のルナンの行動を見過ごすつもりはない」
 冷々と己を射抜いた翠の矢を、燃えるような深紅の焔が真正面から捉える。さながら鍔迫り合いの如く噛み合った対照色の瞳は、静まった広間の空気を不気味にざわつかせた。
「皇旗を戴く勅使が、休戦中の敵都を攻撃し、民を連れ去った。お前が言わずとも、これは紛れもない蛮行だ。抗議は勿論のこと、その意図を徹底的に追及する必要は確かにある。だが……それは正式な文書を携えた、正使を立て行うべき事。一介の士官学生が、口を出すべき問題ではない」
「…………っ!!」
 再び頬に朱を昇らせた青年を置き去りに、感情の無い口説は滔々と続いた。
「此度の事態は、南王国と東王国……そして北王国にも通達済だ。一週間後、西王国(わたし)の主導で連合会議を開催し、今後の方針……主に休戦協定の再締結の是非について話し合う。お前の妹の件についても、その際に対応策が出よう」
「一週間……!?」 
 ふっつりと途切れた声の残滓に、掠れた疑問符が重なる。
 それに応じた沈黙は、青年の怒りを再び炙るに十分な火種だった。
「裁定を無駄に引き延ばした上、馬鹿面突き合わせて会議だと……?ふざけるのも大概にしろ!!」
「ハル!!」
 罵声とともに飛び出そうとしたハルを、アースの腕と声とが押さえる。自分の腕を掴む従兄弟の顔を悪鬼のような眼差しで睨みながら、ハルは激しく身を捩った。
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