黎明を駆る者

第3章 常夜の国へ 2

「離せ!馬鹿野郎!!」
「お前がここで切れたって仕方ないだろう!下がれ!!」
「黙れ!お前は引っ込んでろ!!」
「これが国の決定なんだ!!セレナのことは父上に任せろ!!」
「黙れと言うのが聞こえねぇのか!!この……クソ野郎どもが!!」
 咆哮にも似たハルの叫びが、空気を震わせびりびりと響く。その瞬間……突如として大広間を席巻したのは、竜巻のような旋風だった。
 うねるような風圧に弾かれ、アースの身体が激しく吹き飛ぶ。高官達が慌ててその場に這いつくばる中、怒れる‘風’の遣い手は、ゆらりとその面を上げた。
 水の精霊に護られた西王国には、風の気配を読める者も、その力を使える者もいない。 しかし今……ごうごうと空気を引き裂くその叫びは、人に戦慄を覚えさせるには十分であったに違いない。嵐のように荒れ狂う風の波は、激情に満ちた使役者(ハル)の心をそのままに体現していた。
「てめぇらの考えなんぞ、はなからお見通しなんだよ……!」
 地獄の業火を宿した瞳が、崩れぬコーザの表情を射抜く。竜巻の中心で身を震わせ立ち尽くしたまま、ハルはぎりぎりと言の葉を継いだ。
「セレナのことも協定のことも、いっそどうでもいいんだろう?てめぇらが会議とやらで話し合うのは、再軍備(・・・)のことだけだ。近いうちに始まる、対ルナン戦争に備えてのな!!」
 ハルの激昂に呼応した風が、コーザの頬を浅く掠める。瞬く間に真空の刃と化したそれに薙がれ、滑らかな肌から赤い飛沫が上がった。
「陛下……!!」
 さすがに顔色を変えたシェザイアが、思わず一歩を踏み出しかける。
 その動作に目ざとく気づき、ハルは素早く右腕を降った。
「……俺はコーザ(コイツ)と話してるんだ。邪魔したら刻むぜ」
 玉座の真下でばしりと爆ぜた衝撃波が、白い床石に無残な傷を穿つ。
 彫像のように足を止めたシェザイアの張りつめた気配を尻目に、ハルは再び口を開いた。
「……あんたがどれだけ綺麗事言おうと、俺には関係ねぇよ」
 氷の如き声とともに王の眼を射た紅玉(ルビー)は、燻ってなお燃え続ける熾火のように皓々と輝いていた。
「何百人でも何千人でも犠牲にすればいい。あんたは王だ。どんなことをしてでも、国を守るのが仕事なんだからな」
 視線だけで人を殺すことが出来るのなら、コーザは即座に黄泉路へと突き落とされていたに違いない。しかしながら……その主たる青年が発する声は、不気味なまでに淡然たる響きを宿していた。
「だけど……セレナを見殺しにだけは、絶対にさせねぇ」
 傲然と上げた蒼白な貌の中、噛み締めすぎて色を無くした唇が歪む。坐像のように動かぬ王と対峙したまま、ハルは呻くような口調で言の葉を継いだ。
「たったひとりの妹だ。たとえ国ひとつ潰してでも、俺はあいつを守る。セシリア・レティルが死んだ時……あいつにそう誓った」
 唐突に飛び出した名に微かに揺れた王の瞳を、ハルが見逃すことはなかった。
 空を切って振り上げられた腕とともに、風の叫びが甲高さを増す。恐慌に包まれた広間を過る嗄れ声には、断固たる非難と……そして激しい拒絶が渦巻いていた。
「俺は、あんたじゃない。あんたのようにはならない……!国の安定のために妹を見殺しにした、くそったれた兄貴にだけはな!!」
 叫びと言うにはあまりにも荒々しい科白が、轟音の隙間を縫ってわんわんと響く。
 動かぬコーザとシェザイアから、床に伏せたままの重臣達、そして最後に、手近な柱にしがみついて呆然と自分を見詰めるアースロックを順繰りに見遣り、青年は素早く身を翻した。
「ハル……待て!」
 早足で歩き始めたハルの背に、裏返りかけたアースの声が刺さる。咎めよりも心配の意を含んだ絶叫はしかし、もはや青年の勘気を徒に煽る炎でしかなかった。
『クソ喰らえ!』
 忌むべき言葉の響きとともに、鋼鉄と樫の扉が音をたてて弾ける。
 翼とともに荒ぶる風を纏ったまま、ハルは足早に大広間を退出した。
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