一息に首を刎ね飛ばすべく繰り出した撃は、素早い足さばきによってあえなく躱された。
得物を振り切りがら空きになった青年の背を、男の指先から迸った無数の蒼い光が追う。鏃のように鍛えられた呪力の礫を視界の端に捉えながら、ハルは勢いよくその身を翻した。
『風術は、てめぇの専売特許じゃねぇんだよ!!』
科白と共に突き出された右手の内で、不意に大鎌の形がぐにゃりと歪む。
刹那、その長大な像は、数条の鎌鼬へと変質していた。
風弾を蹴散らしながら飛来した刃をみとめ、男の眼がするりと細められる。その左手から放たれた風塊が真空刃を相殺したのと、甲高い金属音が響き渡ったのは、ほとんど同時だった。
『……‘生ける戎具’』
首元に突き出された、淡く輝く鋭い刃──ハルの手に握られた両刃の剣を左の手甲で受け止めたまま、男は相も変わらず冷たい声を紡いだ。
『持ち主の呪力に依り、自由自在に姿を変える魔道の武具。所持する者はごくわずかと聞いているが……よほど名のある一族の出とみえる』
『……さぁな。てめぇには関係のない話だ』
ぎりぎりと音を立てて刃を圧し込みながら、ハルはそう鋭く吐き捨てた。
さしたる力を込めているとも思えぬ左手は、青年の渾身の力にもびくともしない。
間近に迫った男の顔を挑むように睨み据えたハルの瞳には、我知らずのうちに焦りと苛立ちの色が浮かんでいた。
『だが……残念ながら、貴公の専売特許というわけでもない』
『…………!?』
剣を受け止めた男の手が不意に軽く握りこまれた、その瞬間。
ハルの視界に突如出来したのは、夜が噴き出たかのような漆黒の色だった。
ほとんど無意識の動作で身を引いた青年の目の前を、悲鳴のような風切り音が掠めて過ぎる。
驚きに見開かれた貌を映した、射干玉の輝き──黒い刀身を持った美しくも禍々しい太刀を構え、男はするりと目を細めた。
『魔道の技には魔道の技を。我が主の庭を荒らした旋風よ。貴公の抗い……見せてみるがいい』
低く静かな呟きと共に地を離れた長い脚が、空いた間合いを瞬きする間に踏み抜く。
その動きを捉えた時、男の姿は既にハルの目の前に在った。
『……ッ!!』
ほんのわずかでも気を抜いたら、即座に腹を捌かれるに違いない。
重い一撃を受け止めた手に広がる痺れに、青年の唇から思わず鈍い呻きが零れる。渾身の力で刃を弾いたのも束の間、突きに転じた黒い刃は、再びハルめがけて襲いかかった。
轟き地を打つ雷光さながらの疾さと鋭さで繰り出される男の剣。その軌跡は、どういうわけかハルの脳裏に朧な像を呼び起こした。
受ける度に腕を軋ませる峻烈さが、退く間も与えぬ厳烈さが、過去に幾度となく迎え撃った刃の閃きと重なる。
かつて‘死神’と呼ばれた男だけが、己に感じさせた畏れの記憶。
それが眼前に迫る無表情な男に結び付きかけていることに気付いた時。ハルが感じたのは、背筋が粟立つような戦慄と……そして腹の底から湧き上がる憤怒の情だった。
『……ッざけンなあああァーー!!』
硬い金属の悲鳴に重なったのは、裂帛の気合いにも似た絶叫。
重ねた刃を振り解いて後ろに跳びざま、ハルはその手に握った剣を躊躇いもなく投擲した。
瞬きする間に無数の針へと変貌した刃は、咄嗟に身を翻そうとした男に追い縋り、容赦なくその肉に喰らいつく。血煙を上げて吹き飛んだ敵の姿を引き絞った虹彩の中央に捉えたまま、ハルはさらにその呪力を練り上げた。
風を切って振りかぶられたその左手に出現したのは、紫の弦が張られた、彼の身の丈程もある強弓。
続いて右手を覆うように巻き上がった旋風は、一瞬大きく収縮し……やがて長大な矢へと姿を変える。
不確かな、しかしはっきりとそれと分かる程に力強い奔流を纏った得物を完璧な姿勢で構えたハルが、ぎらりと紅い双眸を絞った……その刹那。
弦を離れた矢は再び鋭い疾風へと変じ、彼方に佇む黒影目がけて一気に襲いかかっていた。
「う……わっ!?」
遥か後方で上がったアースロックの悲鳴をかき消したのは、闇を揺るがす轟音と……そして閃光。
冷たい夜気を巻き込み、さながら龍の顎あぎとの如く膨れ上がった風の渦は、その中央に捉えた敵はおろか、その周辺の植生全てを凄まじい勢いで爆砕させた。
砕けた木っ端が舞い飛ぶ土煙の中、腕を降ろした魔弾の射手がゆっくりと貌を上げる。
断末魔にも似た森の悲鳴と身もだえが過ぎ去った後……そこには、無残に割れた卒塔婆の如く折れ重なった木々と、そして沈黙だけが遺されていた。