黎明を駆る者

第6章 盟約 1

 フィルナ西王国王城の最上階に位置する、通称‘祭儀の間’。
 四方の壁や天井は勿論、大きな窓に懸かった帳も、毛足の長い絨毯も。全てが白一色で覆われたその部屋は、かつて‘白き女神(シュリンガ)’を祀る祭壇が置かれた聖域であったという。
 唯一色味らしい色味を纏っているのは、中央に置かれた重厚な樫の円卓のみ。
 そして、今。その東西南北には、ともに正装に身を包んだ四人の人物が、それぞれ着座していた。
「……何度話し合おうと、結論はすでに出ていよう」
 深いバリトンの科白とともに嘆息したのは、卓の南──即ちフィルナ南王国の主の座に就く長身の男。不惑も間近と思われる理知的な貌は、その線の細さと相まってか、どこか無機的で冷たい。深潭の如く揺蕩う翠の瞳を瞬かせながら、男──否、シェルト・サーリンは再び言の葉を紡いだ。
「期限は目前とはいえど、休戦協定を締結済の貴国を侵犯するとは、あるまじき蛮行。聞けば、相手は警告もなしに、突然攻撃を仕掛けてきたというではないか。それも明らかに威嚇とは思えぬ、強力な呪法でな」
 いにしえの大術士、ギモール・サーリンを祖に持つ南王国は高度な呪法文明で知られ、その王たるシェルト自身も秀でた呪法士として名を馳せている。
 まるで自動人形(オートマタ)の如く平坦な男の視線に、西の座に就くコーザ・レティルはただ静かに顔を上げた。
「……仰る通りですわね」
 感情のない声にいち早く相槌を打ったのは、シェルトの右隣──つまりは東の座に腰を下ろした憂い顔の夫人。
 ふくよかな身体を包むゆったりした黒衣は、昨年世を去った夫への(はなむけ)の意か。頑是ない王子に代わりフィルナ東王国を統べるアルダ・マーヴィア王太后は、ため息とともに豊かな顎を引いた。
「かの騒動で、あの日西王国に滞在していた我が国の使者も被害を受けております。我が国としても可能な限りの安全確保に奔走していますけれど、国民……特に通商船団の不満の声は、日に日に増すばかりで。拐された貴男の姪御さんにはお気の毒ですけれど……民を危険に晒す凶行を、見過ごすわけにはいきませんわ」
 あくまでやんわりと紡がれる婦人の口舌は、しかし意外な程に抜け目なく筋道立ったもので。そのしたたかさには、商船国家として名高い東王国の王たる威がはっきりと現われていた。
「それは、我が南王国とて同じこと。しかし、死傷者が出なかったことは、不幸中の幸いであった。それだけは、貴殿の甥御に礼を言わねばなるまいが……」
「報告では、敵将が放った呪法を、たったひとりで二度とも止めたとか。流石は彼の者(・・・)の血を引くだけあると、我が国の使者も驚嘆しておりましたよ」
「……あるいは、妹君(・・)の血か」
「そうかもしれませんわ。実はわたくし、娘時代はセシリア姫に憧れておりましたのよ。女の身ながら呪法や剣術をたしなみ、時には戦場にまで赴かれたその勇気。西王国の姫君の凛々しさは、東王国でも有名でしたもの」
 ほほ、と上品な笑声を漏らしたアルダはしかし、次の瞬間、不意にふと声を低めた。
「ただ、その後、急病(・・)で倒れたと。病はお見舞いに来たアースロック王子にもうつり、ふたりとも寝込んでしまわれたと聞きましたけれど……お加減は如何ですの?」
「……それは、気の毒な。姪御殿ともども、さぞ心配であろう、コーザ殿」
「…………」
 春日の如く平穏な応酬の中、まるで夜光の如く仄めくのは、揶揄にも似た好奇と、そして細く鋭い針のような毒。
 気遣わしげな二対の視線に隠されたその存在を知ってか知らでか。仮面のような表情をぴくりとも動かさぬまま、コーザはただ恬淡たる言の葉だけを返した。
「……医師によれば、両名とも程なく本復するとのこと。ご心配、痛み入る」
「あら、それは何より。さぞほっとされた事でしょう。お二人とも、大切なお身内ですものね」
 柔らかに緩んだ東の女王の頬にはしかし、やはりどこか不透明な笑みが貼り付いている。
 それでも表情を変えぬ西の王を続けて射たのは……しかし、それよりもずっとあからさまな憎悪の念だった。
「……外道の眷属を身内と呼ぶが、貴国の流儀か。賢王の名も、地に落ちたものだ」
 地の底から響くような呻きとともに顔を上げたのは、卓の北様に座す、小柄な男。
 薄く口髭を蓄えた神経質そうな口元を歪めながら、フィルナ北王国国王──シュベンドラ・フリートは、ぎろりとコーザを睨みつけた。
「気の毒?礼を言う?笑わせるな。此度の騒動の原因は、すべてあの忌子ども──おぞましき‘ルナンの死神’の後裔自身ではないか!」
 甲走る絶叫とともに振り下ろされたシュベンドラの右手が、頑丈な卓を鋭く打つ。握り締められたその薄い掌は、激越な苛立ちと、そして憎悪に激しく震えていた。
「五年前、私は確かに忠告したはず。あの化け物(・・・)の仔など生かしておけば、必ずや災いの種となると。だが、貴殿はそれを退けるどころか、己が身内として受け入れた。その偽善の結果が、これだ!その始末を、どう着けられるつもりか!!」
 西王国とともにルナンと国境を接する北王国は、約三十年前、‘ルナンの死神’ハラーレ・ヴァイナスの攻撃により、首都ナレーンの大半が焼失する程の被害を受けている。一時は国家存亡の危機をも招いたその戦禍故か、ルナンに対する現国主の恨みは相当に深く、また他三国との協調を崩しかねぬ程の激しさを秘めていた。
 事実、二十年前の国境防衛戦における一大暴挙──西王国の浮遊船、それも王妹が乗る旗艦に降りた‘死神’を船ごと(・・・)撃ち落としたという‘逸話’は、西王国のみならず、フィルナ連合全域から未だ非難を以て囁かれている。
 それ程の憎悪の余波が、()の血を引くハルとセレナ……さらにはその保護者たるコーザに向かうのは──たとえそれが、恐ろしく迷惑な側杖であったとしても──ある意味では無理もない事と言えた。
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