黎明を駆る者

第6章 盟約 4

ルナン(こっち)の人って、すごく勉強熱心だったんだな」
「は……?」
 惚けたような問い返しに応じたのは、心底感じ入ったという体の嘆息。
 いよいよ困惑の度を増したハルの視線をあっさりと置き捨て、アースはどこまでもからりとした口調で言の葉を継いだ。
「俺たちを助けてくれた人──まだ若い女の子だったんだけど、驚いた事にフィルナ語ぺらぺらでさ。おかげで、普通に話ができたんだ」
「…………!?」
 晴れやかな科白に遅れること数瞬、呆然たる気色を帯びた赤い瞳が、間髪入れずに凍りつく。
 その視線を知ってか知らでか。アースロックは、無邪気な口調で笑った。
「一体どこで習ったんだって聞いたら、自分にとっては当然のたしなみ(・・・・・・・)だって。かなり分かりにくいし、相当なまっていたけれど、一応一通りの事は聞けてさ。ともかく、助かった……?」
 不自然な緊張とともに沈黙したハルの様子にようやく気づいたのか、アースがふと口を噤む。
 いつの間にやら一切の表情を消した従兄弟の貌を捉えながら、彼は不安げに眉を寄せた。
「……どうした?やっぱり、まだ痛むのか?」
「……か」
「え?」
「阿呆かお前は!!」
 突如目の前で炸裂した怒声に、アースは寝台から思い切りずり落ちた。
 あたふたと上がった翠の瞳を、つり上がった紅蓮の色が射抜く。へたり込んだ従兄弟が再び何かを紡ぐより早く、ハルは再び炎のような声を放った。
「これから戦争しようってのに、へらへらと敵国(・・)の言葉を喋る物好きがどこにいる!自分の国に照らし合わせてよく考えてみろ!!」
 浴びせられた言葉の意味を、ようやく理解したのか。はっと息を呑んだアースロックを見据えながら、ハルは思わず苦り切った舌打ちを零していた。
「……このご時世、外国語を学ぶ目的なんぞ、干渉と敵情視察に決まっているだろうが。そんなデリケートな任務に就ける階級、この国ではひとつしかねぇんだよ!」
「……まさか、貴族!?」
「……気付くの、遅えっての」
 真っ青になって絶句したアースを呆れ果てた眼差しで見遣り、ハルは深々と嘆息した。
「……で、何をどこまでおしゃべりした?場合によっては、面倒なことになるぜ」
「い……言ってない!何も言ってないよ!!」
 じっとりした双眸から必死で逃れながら、アースはちぎれんばかりの勢いで首を振った。
「助けてもらったお礼を言って、ついでに少しこの辺のことを聞いただけだ!俺たちのことも、ここに来た経緯も、セレナの事も、何も話しては……」
「そウそウ、な~んにも聞いてナイのよン」
 唐突に……しかし狙い澄ましたように会話を割った生温い声に、青年ふたりが弾かれたように振り返る。
 恐ろしくぎこちない発音ながらも、紡がれた言葉は紛れもなくフィルナ連合のそれで。
 驚愕に見開かれた二色の瞳が見つめる中、開いたドアからひょこりと出てきたのは、まだ幼さの残る、少女の顔だった。
「オハヨ、アース君(・・・・)
 年のころは自分たちより少し下──おそらくは十四、五といったところか。
 よく動くどんぐり眼とくっきりとした目鼻立ちは、どことなく小動物めいた愛嬌を漂わせている。白い歯を見せてにこりと笑ったその拍子に、高く括った巻毛の黒が、猫の尾のように揺れた。
「お連れサン、起キたんダ。よカッタネ」
「シ……ネイン……さ、ん……」
 強張ったアースの声など知ってか知らでか、少女は弾むような足取りで部屋へと滑り込んできた。
 ひょろりとした小さな身体を覆うのは、まるで下町の少年が来ているような麻の短衣。しかしながら……その生地を彩る黄色が勝った薄茶の色は、‘色彩’を尊ぶルナン(この国)において、何より雄弁な身の証だった。
「アイサツついでニ……お茶でもイカが?」
 片手に乗せた小さな盆をひょいと持ち上げ、少女は再びにいと笑う。
 床に座り込んだままのアースロックから、寝台のハルへ。
 二重三重の驚きに固まる青年の顔を順繰りに覗き込んだ大きな瞳は、ほんの少し赤みが勝った、綺麗な濃桃色をしていた。
「ワタシ、シネイン。シネイン・ユファス。ここ、ヴァナの領主よン。おケガはタコ……じゃなかった、イカが?」
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