黎明を駆る者

第6章 盟約 6

 思わず眉をはね上げたハルの視線を、鉄壁の笑みを湛えたどんぐり眼がすくう。愛らしくまどかなその虹彩はしかし、どこか冷ややかな──否、恐ろしく超然たる気色を纏っていた。
『……この国は、何の手もなしにホイホイ動き回れる程緩いところじゃない。そのなりなら、尚更ね。速攻で捕まって、めでたく‘西の塔’の拷問部屋行きよン』
 深刻そうな口ぶりに反し、幼さの残るまろい声は相も変わらず弾んでいる。
 ぐっと唇を噛んだハルの様子をみとめたまま、大仰な手ぶりとともに、少女は再び口を開いた。
『だから、取り引き。ワタシ、こう見えても結構顔は広いの。あなたたちが何をしたいのかは分からないけど……協力、出来ると思う』
『…………』
 あたふたと此方を伺うアースロック──事態を把握できていないためか、心底焦った顔をしていたが──を尻目に、二対の眼が密やかに……しかししたたかに互いを射る。いずれ劣らぬ力強い輝きは、これから戦う相手の力を測ろうとする、歴戦の猛者のそれにも似ていた。
『……見返りは?』
『簡単なことよン。ワタシにも、やらなきゃいけないことがあるの。それを、ちょっと手伝ってほしいだけ』
『……断れば、突き出すべきところに突き出すってわけか』
『この場でワタシを()ってトンズラするなんて盗賊みたいな真似、誇り高い高位貴族様には出来ないはず。かといって、大人しくしょっぴかれるのもイヤでしょ?』
 刃さながらの科白を事もなげにさばいたのは、薄雲のようにつかみどころのない微笑。いつの間にやら一切の表情を消したハルの貌を、まるで値踏みするかのように見上げながら、シネインはとぼけた仕草でウィンクして見せた。
「ダカラ、まずは、おハナシ。とりあえず……アナタたち、一体何者なのン?」



 しんと静まった部屋の空気を絶ったのは、控えめだが鈍重な音だった。
 落ちた拍子に欠けたマグから溢れた茶が、芳香とともに床へと広がっていく。ころころと転がる陶器を視界の隅に捉えたまま、ハルは、阿呆のように口を開けて固まる少女を至極静かに見つめていた。
『……‘ルナンの死神(グライヴァ・リ・ルナン)’の御子息と……その、おトモダチ(・・・・・)……!?』
 半ば血走った少女の凝視に、アースロックがおろおろとした顔で従兄弟を見遣る。
 そのSOSをあっさり躱して無視しながら、ハルはすいと肩を竦めてみせた。
『……話せと言われたから話したまでだ。文句はなしだぜ』
『っていうか、ヴァイナス家!?風領土(バリン)どころかルナンで三本の指に入る、あのヴァイナス家!?そんな大貴族の跡取りが、密入国なんて。いくらわけありだからって、あり得ないデショ!?』
『……わけありのレベルが違いすぎるだろうが。むしろ余計なごたごたが多過ぎて、何も身動き出来ねぇんだよ』
 先程の余裕は何処へやら。半ば裏返った少女の声に、ハルは深々と嘆息した。
『一歩間違えれば、それこそ即戦争だ。俺も、あんたらの仲間に連れて行かれた妹も……そんな面倒事は御免なんだよ』
 思いのほか淡々とした科白の響きに、シネインがぎこちない動作でハルを見遣る。かろうじて持ち直したそのポーカーフェイスには、何とも形容しがたい困惑と、そしてある種の恐慌が浮かんでいた。
「話は以上だ。俺とアース(こいつ)は、妹を連れて帰るためにルナン(ここ)に来た。当然、援護の見込みはない。その手助けの見返りに……あんたは一体、俺らに何をさせる気だ?」
「…………」
 深紅の双眸に真っ直ぐに射抜かれ、大きな瞳がゆっくりと焦点を結ぶ。
 ほんの少しだけ驚きの名残を留めた濃桃色は、それでも既に底の見えない落ち着きを取り戻しつつあった。
「……エヴァライムズ」
「…………?」
 愛らしい唇から唐突に零れた耳慣れぬ語に、ハルはふと不思議そうに眉根を寄せた。
「ルナンの建国神話ニ出テくる、闇夜の王(クヴェラウス)の‘光の槍’よン。聞いたコトない?」
「……いきなり、何の話だ」
 胡乱気なハルの視線をさらりと置き捨て、シネインは素知らぬ顔で笑みを深めた。
「大昔ニエリアを荒らしまくった魔物を一撃デ仕留メ、この国の礎を創っタ、必殺のブキ。的を捉えるタメならどこマデも飛んデいく、魔法のブキ。蜂ヨリも速く……そして、蛇ヨリもしつこくネ」
 例の如く軽妙な語り口はしかし、どこか含みのある翳を孕んでいて。
 その取ってつけたような不透明さは、ひりついたハルの神経を(いたずら)に煽った。
「トッテモ強い敵が目の前を塞いでいる、ゼッペキ……じゃなかった、絶体絶命のピンチのトキ、そんな便利なブキがあったらイイナ~って、思わなイ?」
「……いい加減、無駄な比喩は止めろ。言いたい事があるなら、はっきり言いやがれ!」
「……言ったネ?」
 思わず苛立ちを露にした怒声に応えたのは、奇妙なまでの落ち着きに紛れた疑問の符。
 寝台の縁からすっくりと立ち上がりながら、少女は飄然たる仕草で肩を竦めた。
「男にニボシ……じゃなかった、ニゴンはナシ、だっケ?聞いてからヤッパリムリ~、なんて言うのは、今更ナシよン?」
 青年達を交互に見遣った濃桃色が、駄目押しのようにきらりと光る。
 鼻白むハルの眼前で、世にも鮮やかな笑みを浮かべたまま、シネインは堂々たる口調で言の葉を紡いだ。
「ワタシたち(・・)は、エヴァライムズ。ルナンをあるベキ姿に導くタメの‘光の槍’。ソノ目的は、コノ国を破滅ニ導こうとしてイル魔物を倒すコト。アナタ達には、ランスの皇宮ニ坐ス、ソノ魔物──ザフェル=トヴァ・カルタラス帝を(たお)ス、手伝いをシてホシイの」

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