黎明を駆る者

第7章 カルマの鎖 9

『ルナンも、フィルナも……何も、関係ない。あのひとは、誰よりも生きることを望んでいる。誰よりも、ね』
 蒼白になった貌を傲然と上げたまま、少年はうっとりとした口調で言の葉を紡いだ。
『だからこそ……必要なんだよ。その望みを脅かす程の、強烈な刺激が』
『……なんですって……?』
 燐のように閃きながらも皮肉げに瞬く双眸には、明らかに正気の光がある。
 しかしながら……焔よりも鮮やかな虹彩のその内には、張り裂けんばかりの感情の渦が、嵐の如く吹き狂っていた。
『……昔々。‘闇夜の王’が創りし尊き国に、心正しきひとりの皇子がおりました』
 珍しく驚愕の色を滲ませた麗人の様子を知ってか知らでか。血に塗れた悪戯者(ウェル・オ・ゾウル)は再びうっそりと嗤った。
『長きに渡る隣国との争いを憂えた皇子はある日、その思いを臣下に打ち明けました。忠実な臣下は主に応えるべく奔走し……ついに、ひとつの答えへとたどり着いたのです』
『…………!?』
『百年……さ』
 裏返りかけた声の調子をはたと落とし、ケレスはにいと口角を上げた。
『この百年……僕は、あのひとを退屈させない為だけに生きてきた。身体も、心も。何もかも、全て捧げてね。それが、僕の存在意義。僕の(カルマ)。だから……‘光の槍(エヴァライムズ)’を作ったのさ。全ての退屈を吹き飛ばす、起爆剤として、ね』
 引きつるような囁きとともに、妖めいた鉱片が再びゆらと姿を現す。唖然と立ち尽くす麗人にその狙いを定めながら、少年はゆっくりと脚を起こした。
『‘光の槍’は、ぼくの集大成。あの日(・・・)以来、何もかもに倦んでしまったあのひとに、凍り付くような生の実感を──生きているっていうことを、思い知らせてあげるための、プレゼント。盤は整い、役者は揃った。あとは……待つだけ。あの人が退屈の淵から目覚めるのを、待つだけさ』
 緑晶を背に艶然と微笑む血みどろの貌は、まるで熱に浮かされているようにも見える。
 甘い幻に溺れて沈む白痴めいたその視線に……ウォルメントは、己の肌が粟立つ様をまざまざと見せつけられたような気がした。
『分かった、かい?綺麗で冷たい、氷の魔性(ラィア・レイン)?』
『……分かるわけ……ないでしょう』
 ぽつりと零れた掠れ声は、沈んだ夜気に細やかな(ひび)を這わせた。
『反逆が、退屈しのぎ?命を狙う事で、生の実感を与える?……笑わせないでください。貴方はもう……正気では、ない』
 密やかに握り締められた白い拳に応えるように、再び宵闇が凍る。ぱきぱきと音を立てて出現したのは冷たい華ではなく……鋭く光る無数の氷槍だった。
 合図もなく一斉に展開した凶器に取り囲まれ、はりついたような微笑がゆっくりと歪む。
 飄然と佇む少年を映したウォルメントの瞳は、何とも形容のし難い不快感と……それを一刻も早く消し去りたいと願う焦燥とに、今や烈しく焙られていた。
『戯言はもう結構。喚きたければ、後で好きなだけおやりなさい。‘西の塔’でね』
『何を、怒っているの、さ……?折角の綺麗な顔が、台無し、だよ?』
『……黙れ!!』
 怒号とともに爆ぜた氷刃に撃たれ、少年の身体が三度(みたび)地に伏す。
 新たに増えた血溜まりを視界の隅に捉えながら、ウォルメントは再び氷の声を零した。
『狂人と話す事など、何もない。今度こそ、その口を封じて差し上げます』
 顔を伏せたまま沈黙したケレスを見下ろし、麗人がゆっくりとその繊手をもたげる。
 しかし、次の瞬間。ようやく訪れた静寂を席巻したのは、凍てついた矢の群ではなかった。
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