黎明を駆る者

幕間2 黒歌鳥 3

『……おや、どうしたんだい?』
 大きな緋眼をぱちくりさせつつ、少年がふと掲げた細い腕。その緑衣の袖に、まるで置き物の如く留まっていたのは、それぞれ異なる色の目を持つ、三羽の小鳥だった。
 藍緑色に琥珀色、そして(とき)色。いずれ劣らぬ鮮やかな彩は、まるで宝石のように美しく……しかしどことなく無機的で冷たい。  漆黒に艶めく三つの尾羽を見つめながら、ケレスはひょいと細い肩を竦めた。
『……最近‘森’で知り合った、僕の‘トモダチ’。可愛いでしょう?』
 思わず動きを止めたウォルメントの耳を、あどけない声がするりとすくった。
『ちょっと餌を撒いたら、懐かれちゃってね。僕の気配を追って、こんな所までついてきちゃったみたい。驚かせたかな?』
 袖が振られた拍子に羽ばたいた一羽が、鉤のように曲げられた細い指へと移る。表情のない琥珀色の瞳と視線を合わせながら、ケレスは再びくつくつと喉を鳴らした。
『はじめは一羽だけだったのだけど、最近はどんどん仲間を連れてきてね。この分だと、まだまだ増えそうだよ。面倒……見きれるかな?』
 囀りもしない小鳥たちを従えた少年が、苦笑しながら細頸を竦める。
 ‘悪戯者(ウェル・オ・ゾウル)’の(あざな)をそのまま体現したかのようなその態度はしかし、どういうわけか、ウォルメントの脳裏にごく微妙な‘違和感’を植え付けた。
 悪戯な天使のような微笑みが孕むのは愛らしく、そして一分の隙も裏もない飄逸さ。
 完璧に過ぎる美は、時として不自然な、ともすればグロテスクな印象を与えるという。目の前の少年の貌には、その両面価値的な不気味さが確かに在った。
 最も年若い己は勿論、‘炎の剣(スライヴァルアーク)’レジェット・ジャルマイズや‘疾風の翼(サルヴァルキアス)’ことフィリックス・キクス、そして‘ルナンの死神(グライヴァ・リ・ルナン)’ハラーレ・ヴァイナスよりも遥か昔から魔帝に仕えてきたという‘地の支配者’。この国(ルナン)が内包する光と闇とを誰よりも深く知り尽くしてきたはずの忠臣はしかし、今やウォルメントにとって全くの異邦の輩のように見えた。
『……セレナ姫の件で面白い事があったから喋りに来たのだけど、また今度にしておくよ』
 呆然と己を見遣る麗人の視線を、相も変らぬくすくす笑いがするりと躱す。ウォルメントがようやく我に返った時、ケレスの小さな後ろ姿は、既に少しずつ遠ざかり始めていた。
『邪魔、したね』
 しなやかな柳の穂の如き翡翠色の裾が、軽やかな足音とともに薄闇を刷く。扉の向こうへと消えていった小さな影を無言のうちに見送りながら、ウォルメントは上げ損ねた腰をようやっと上げた。
 転瞬、思わず漏れた吐息とともに(しばたたか)れたその眼が、再び大きく見開かれる。
 硬度を増した唐紅色の先に在ったのは……先程、少年の元へと舞い降りてきたはずの小鳥だった。
 主について行きそびれたのか、それともあえて留まったのか。まるで鏡のような藍緑色の目は、訝しげに歪む深紅をただ静かに映していた。
『…………』
 翻された瑠璃色のローブの裾が、磨き抜かれた床の上を音もなく滑る。静かに近づき跪いたウォルメントを恐れるそぶりも見せず、小さな鳥はその繊手の裡に呆気なく捕らわれた。
 その様子に我知らず眉を寄せた麗人の貌に刹那、さっと尖鋭な色が差す。
 柔らかな羽毛の感触とともにウォルメントの掌を浸したのは、規則正しい拍動の響きと……そしてごくごく微かな水の気配だった。
 この国では限られた者しか扱えぬはずの──それも己と属性を同じくする呪力(ちから)の波動を、‘水の支配者’は果たして何と捉えたのか。
 黒い紗の如く流れた長い髪の奥、美麗な瞳に凄絶な冷気を湛えたまま、ウォルメントはゆっくりと立ち上がった。
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