黎明を駆る者

第11章 理の行方 3

「俺はただ、コーザ(あいつ)と話がしたいだけだ。今回の事や、セレナの事だけじゃない。あいつ自身は何を思って……そして、何を以てルナンと戦おうとしているのか。その真意が聞きたいんだよ」
「……正気か?」
 澱みなく紡がれたハルの科白に、ザザは唖然たる気色で肩を竦めた。
「お前、今の自分の立場を分かっているのか?正直言って、王子様よりはるかにまずい。城の連中に見つかったら牢獄へ直行どころか、下手すりゃその場で斬られるぞ。その状況で……陛下がお前の要求に応じると、本当に思っているのか?」
「……分かってるさ」
 糾弾にも似た詰問に静かな一瞥を遣り、ハルは緩慢な仕草で身を起こした。
「青臭い戯言だっていうのは、自分が一番よく分かってる。でも……それでも、俺は知りたいんだよ。国王として、ひとりの人間として、あいつはこの世界をどうしたいのか。これから先、俺がなすべき事を見極めるためには……それをどうしても聞いておかなきゃならないんだ」
 ただ端然と言の葉を紡ぎながら、青年がぎりとその右手を握る。引き絞られた紅玉の虹彩には、相も変わらず鋭い意思が煌々と揺らめいていた。
「そうでもしなけりゃ……俺は、一生顔向けできねぇ。俺を逃がした奴らには勿論、セレナや……父上、母上にも」
 いつになく真摯な言に応じたのは、沈黙と……そして、重いため息。
 苦い顔で頭をかいたザザに、更なる追撃を放ったのは……しかし、黒と紅を纏った青年ではなかった。
「……俺も、同じです」
「王子様……?」
 目をぱちくりさせたヴィスクの前で、アースロックがそろりと顔を上げる。相も変わらず不安げに揺れる双眸は、しかしそれでもしっかりと前を見据えていた。
「このままじっとしている事が最良だっていうことは、俺にだってよく分かります。でも……それは、ルナンとフィルナの再戦を黙認するのと、同じ事だと思うんだ。俺は、それだけはできない。いや……したく、ないんだ」
「…………」
 ぼそぼそと零れた科白は徐々に確かな色を纏い、いつしかはっきりとした独白へと姿を変える。
 驚きの表情を浮かべたヴィスクとザザを掠めた翠緑玉(エメラルド)は、暖炉の火影の薄明かりをゆっくりと薙ぎ……そして、表情を殺した紅玉(ルビー)を真っ直ぐに捉えた。
「……城を出てしばらくは、本当に怖くて仕方がなかった。早くセレナを連れて帰って、いつもの生活に戻りたい──それだけを考えていた。でも、途中で色々な目に遭って、色々なものを見て……気づいて、しまったんだ。たとえ、このままフィルナに戻れても……元通りの日常なんか、絶対に戻ってこないんだって」
 冷ややかな視線に真正面から挑みながら、アースは疲労で褪せた顔をくしゃりと歪めた。
「……戦は、多分もう止められない。そうなったら、俺はこの国を背負って、戦わなきゃならない。俺達を助けてくれた人や、シネインさん……もしかしたら、セレナやお前とだって戦う事になるかもしれない。それが仕方のない事だっていうのは、よく分かっている。でも……嫌なんだ。どうしても、嫌なんだよ……!」
「王子様、あんた……」
 唖然たるザザの言葉を遮るように歯を噛み締め、青年が震える拳を握る。まるで泣き出す寸前のような酷い表情を躊躇いもなく曝したその貌には、その情けなさを補って余りある程の気概がはっきりと宿っていた。
「……父上は、昔、言っていた。国を背負うという事は、そこに住まう民を、その望みを背負う事だって。でも……俺は、何も知らない。フィルナの事や、そこに住む人々の事……それに父上の事も、何も。だから……俺も、父上に問うてみたい。そうしたら……俺も、背負う覚悟が出来ると思うんだ。父上がひとりで支えてきた、その重荷を」
 息ついたアースを映す紅玉は、ただ冷たく細められたまま。その内に閃くものを知ってか知らでか。置き所を失ったパンを所在なさげに手にしたまま、アースは不意にがっくりと肩を落とした。
「もっとも……その前に、廃嫡になるかもしれない……けど」
「……ったく……」
 ぼそぼそとした泣き言にようやっと応じたのは、心底面倒臭そうな……しかしどこかからりとしたため息だった。
「ぼさっとしたお坊ちゃんだと思ったら、とんだ見込み違いだ。陛下といい、セシリア姫といい、ハルといい……レティルの人間は、どうしてこうも強情なんだか」
 ぼさぼさ頭を再びばりばりとかきむしりながら、男は呆れたように舌を打った。
「……言いたい事は、よく分かりました。俺の力は限られていますが……出来る事は、お手伝いしましょう。そこのハル(バカ)と、あなたの熱意に免じてね」
「モーブ師……!?」
「ザザでいいですよ、王子様」
 ずれた眼鏡をくいと押し上げ、ザザはにやりと口端を上げてみせた。
「セシリア姫の時代から、面倒事には慣れています。それに……俺は、一本筋の通った話が好きなんですよ。その中身が、どんなにぶっ飛んでいてもね」
 幾分──否、多分の驚きを含んだ科白に綽々たる皮肉を返し、ザザがするりと瞳を絞る。
 食卓に伏して寝こける少女からアースロック、ヴィスクとハル、更にはその斜め背後で閉ざされた扉へと順繰りにその視線を移しながら、彼は今一度深く嘆息した。
「ただ……さっきも言った通り、俺に出来る事は限られている。実は一昨日、暴動未遂事件があってね。王城そのものがガチガチの戒厳令下で、陛下の側になぞとても近づけない。当面は、情報収集と……お前さん方を匿うくらいしか、出番がないのが現状さな」
「そういう事なら、私も手を貸すよ。奥のお客さん(・・・・)はまだ動かせないだろうし……それに、ここいらは、ハルの馴染みも多いからね。密告だの何だのの心配は、多分ないはずさ」
「……悪い、助かる」
「何言ってんだい、この子は。当たり前だろ?」
 安堵の呟きを漏らしたハルの背を、ヴィスクの大きな掌がばしばしと叩く。
 思わず息を詰まらせた青年を知ってか知らでか、ずれかけた肩布を直しながら、ザザは再び静かに言葉を継いだ。
「……とはいえ、お前らまでここにいると、さすがにまずいだろう。東の外れに俺の研究室がある。そこを貸してやるから……まあ、何日か大人しくしている事だ。ゆっくり休め」
「だが……」
「休むんだよ、ハラーレ=ラィル」
 焦りを滲ませたハルの声を置き捨て、ザザは静かにそう繰り返した。
「さっき言ったろう?俺達は確かに頑丈だが、不死身じゃない。今のお前に出来るのは、体を治す事だけだ。お前の客人の話も、聞かなきゃならない。幸い、正式な開戦布告にはまだ間がある。まずは現状を把握しろ」
「…………」
 憮然たる表情で沈黙したハルを置き捨て、ザザがゆっくりと席を立つ。
 その冴えない貌にはしかし、いつになく真剣な……そして、底冷えする程怜悧な光が宿っていた。
「とりあえずは、五日だ。それまでに、本調子に戻しておけ。場合によっては、荒事になる。上の状況は勿論……お前の客人の国の状況によってはな」
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