黎明を駆る者

第11章 理の行方 2

「そいつは頑丈だ。二日や三日食わなかろうが、臓腑が幾つか潰れようが、死にはしない。気にするな」
「……お前が言うんじゃねぇよ、ザザ(・・)
 うわ言めいた呟きとともに顔を歪め、ハルは鋭く舌打ちした。
「麻酔が効く前に切りやがって。いくら頑丈だって、痛ぇもんは痛ぇんだよ」
「折れた肋骨が潰れた肺やらナニやらに刺さってのたうち回っていた奴が、何を言うか。そもそも、その体で夜通し遠駆けするなぞ自殺行為以外の何物でもない。いくら俺達(・・)が頑丈にできていたって、血を流し過ぎれば死ぬんだよ。いい加減、そこのところを理解しろ。バカ」
 恨み節をいなすどころか揚げ足を取った男が、呆れの色濃いため息とともに勢いよく扉を閉める。
 ザカリア=ザック・モーブ──通称‘ザザ’。
 フィルナ西王国でも指折りの術師の家系に生まれ、史上最年少で宮廷魔術師に取り立てられた新進気鋭の呪法士。かつてセシリア王女の呪法の教師を務めていたというこの男は、ここフィルナ西王国においてハルにずけずけと物申せる人物のひとりだった。
 ヴィスクの店の常客である縁で顔を合わせて以来、はや五年。初対面時から少しも変わらぬ傲岸かつ辛辣な舌鋒にはしかし、異形の青年に対する悪意は無い。
 実際、たまたま針鼠亭の離れで休息していただけという状況の中、突如ルナン人(・・・・)を連れてなだれ込んできた一行を平然と受け入れ、あまつさえ手当てに手を貸しさえしたその行動は、裏のない厚情以外の何物でもなかった。
「セシリア姫も相当なタマだったが、お前も似たり寄ったりだ。王太子を巻き込んだ出奔の次は、敵さん(・・・)とご帰還。しかもそれが半死半生の‘お貴族様’とは、一体何の冗談だ。完膚なきまでに、滅茶苦茶だろうが」
 散々に押しまくられて沈黙したハルの気色を知ってか知らでか。鳥の巣のような頭をぼりぼりとかきむしりながら、ザザは先程閉めた扉の方を見遣った。
「……大体、何なんだあの胸糞悪い傷は。何をされたら、ああまでボロボロになるんだか」
「……そんなに、悪いんですか?」
 皮肉よりも嫌悪が勝った男の科白に、匙を握ったままのアースがおずおずと口を開く。
 不安げな色をたたえた翠緑玉(エメラルド)を見つめ、ザザはどこか憤然とした調子で肩を竦めた。
「……全身の創傷と骨折、加えて打撲に重度の火傷。頭のてっぺんから爪の先まで、どこもかしこもズタズタだ。嫌がらせか、拷問か……いずれにせよ、まともな奴の所業でないことだけは確かだよ。他はともかく、左の目はもう駄目だ。抉り取られて、眼球自体が行方不明だからな」
「う……」
 淡々と放たれた男の科白に、アースが思わず顔をしかめて呻く。その様子を知ってか知らでか、ヴィスクの横に腰を落ち着け、ザザは深く嘆息した。
「並の呪法士なら、三回は死んでいるレベルの大怪我だ。どんな化け物並の呪力の持ち主でも、回復に一週間はかかる。問題は……その間、無事でいられるかってことだ。やっこさんとシネイン君は勿論……ハル。お前と、王子様もな」
「…………」
 唐突に低まった声に、アースの肩がびくりと震える。
 言葉もなく俯いたその様子をちらと横目で捉えたまま、ザザは静かに瞳を絞った。
「……分かって、いるんだろうな?」
 紅玉と翠緑玉とをともに映した分厚いレンズが、不意にぎらりと剣呑な光を帯びた。
「コーザ王がよほど厳しい箝口令を敷いたんだろう。お前らふたりはそろって流行病にかかり、田舎で静養している事になっている。だがな、その実、何をしたかは、一部の高官と宮廷魔術師(おれたち)には、しっかりバレているんだよ。その状況で、ただいま帰りましたと舞い戻った日には、一体どうなるか……分かるよな?」
「……覚悟は、できています。良くて廃嫡、悪ければ……生涯、幽閉……とか」
「……惜しいね」
 恐々たるアースの科白に鼻を鳴らし、ザザは再びローブの肩を竦めた。
「良くて幽閉、悪けりゃふたりとも死刑だ、王子様」
「死……!?」
 思わず絶句したアースを醒めきった目で見遣ったまま、ザザは今一度深く嘆息した。
「……あの襲撃以来、宮廷は完全に主戦論一色さ。中には、開戦を待たずに奇襲をかけろだの、国境線に出張ろうだの、檄を飛ばす過激派も少なくない。そいつらを抑えるので、コーザ様も手一杯なんだよ。そんな所へ、のこのこ行ってみろ。いくら陛下でも、とても守り切れない。特に、ハル……お前に関してはな」
「……守ってもらおうなんぞ、思っちゃいねぇよ」
 冷ややかな牽制を含んだ男の科白に、ハルは憮然とした様子で舌打ちした。
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