黎明を駆る者

第9章 囚われた心 7

 炎を映した長大な剣が、地響くような音を立てて大地へと突き込まれる。
 刃の代わりに乙女の柳腰を抱えて立った男を射たのは、まるで業火のような視線だった。
『‘炎の剣(スライヴァルアーク)’……!!』
『退がりな』
 恨み節めいたルスランの科白をさらりといなした闖入者は、驚く程慎重な手つきでセレナを降ろした。
おいた(・・・)は仕舞いだ。とっとと武器をおさめろ』
『しかし……!!』
『……聞こえねぇか、小僧』
 未だ衰えぬ殺気とともに食い下がった黒衣の男を、急激に温度を下げた眼差しと科白が制した。
『ルナン帝国の火の‘支配者’レジェット・ジャルマイズの名に於いて命ずる。武器を下ろし、退け。二度は言わねぇぞ』
『…………』
 ようやっと太刀を下ろしたルスランをみとめ、レジェットが鋭く目を細める。その動止に導かれてか、煌煌と燃え立つ焔の壁は転瞬、地に突き立った剣とともに、跡形も無くその姿を消した。
『…………!!』
『……嬢ちゃん。あんたも、動くな』
 ようやく人心地がついたのか、駆け出そうとしたセレナを制し、レジェットが再び身を返す。否応なしに足を止めた乙女の横を通り抜けたその歩みは、ひしゃげた草木を踏みしだき……そして、大木の下で無様に崩れた青年の前でぴたりと止まった。
『……ぐ……ッ!!』
『……ふん』
 いきなり襟元を掴み上げられたハルが、くぐもった悲鳴とともに再び血を吐く。半ば強引に引き起こしたその身体を左手一本で吊るしたまま、レジェットは涼しい顔で言の葉を紡いだ。
『ちょいと中身(・・)が潰れたくらいで、情けない顔をするな。お前なら、しばらく大人しくしていりゃあ余裕で治る。まあ……死ぬ程痛ぇがな』
『……ッ……!!』
 挑発めいた科白が(しゃく)に障ったのか、苦痛に歪んだ面の中で、紅玉(ルビー)の瞳がぎらりと光る。虚勢にしか見えぬその強さを、どういうわけか面白そうに見下ろしながら、レジェットはひょいと広い肩を竦めた。
『……心配する事はねぇよ、嬢ちゃん。これだけ元気がありゃ、大丈夫だろう』
 苦笑まじりの科白にようやく上がったハルの視線が、逞しい肩越しにセレナを捉える。
 今にも泣き出しそうに歪んだ翠緑玉(エメラルド)には、例えようもない程の安堵と……そして、それと同じくらい強い煩慮が渦巻いていた。
『……さて。次は、てめぇの番だ』
 瞳を交わす兄妹から視線を外したレジェットの声が、不意に剣呑な響きを纏う。
 ゆっくりと振り返った火の‘支配者’の双眸は、無言のまま立ち尽くしていたルスランを真っ直ぐに捉えた。
『てめぇの任務は、皇宮の……いや、陛下の警護のはず。それが、こんな所で嬢ちゃんを巻き込んだ大立ち回りをやらかしているとは、一体どういう了見だ?』
『…………』
 氷のような詰問口調に、しかしルスランは沈黙を貫くのみ。その(あか)い瞳の奥で揺れるものを知ってか知らでか。さらに鋭さを増したレジェットの口撃は容赦なく続いた。
『……てめぇがぶち殺そうとしていたこいつが誰で、嬢ちゃんにとってどういう存在か。知らないとは言わせねぇ。てめぇは……彼女まで(・・)壊す気か?』
『…………!!』
 雷に撃たれたように肩を震ったルスランを、はっと振り返ったセレナが捉える。
 先に顔を上げたのは、血走った殺意とともに瞠目した赫眼の主か、それともやるせない憐れみを湛えた翠眼の乙女か。
 膨れ上がった想いとともに、(いら)えの言葉を発したのは……しかしながら、そのどちらでもなかった。
『……そのくらいに、しておいてあげてよ』
 いささか間延びした科白とともに、レジェットの背後でゆらりと暗闇が動く。
 先刻の戦闘で、見る影もなく荒れ果てた庭園の一角……折れ砕けた並木の間からふらりと現われたのは、薄汚れた緑衣を纏う小柄な影だった。
『彼に関する事は、僕の管轄なんだから。あまり、いじめないであげて』
『……ッ……!?』
 くつくつと嗤う声音に、レジェットに吊られたハルが愕然と息を呑む。
 その様子に気づいたのか。血で汚れた包帯で半顔を覆ったケレス・ヒルズは、ひび割れた唇をゆっくりと引き上げた。
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