黎明を駆る者

第9章 囚われた心 9

『この国で最高位の貴族の家に生まれて、呪法士の頂点にまで上り詰めて。僕らの思う栄耀栄華のすべてを手にしていたのに……ある時、何もかもがくだらなく思えちゃったみたいでね。そのどうしようもない退屈を紛らわすために、この国を(ボード)に、貴族(ぼくたち)を駒に見立てたゲームを思いついたんだってさ。(あか)色の駒を敵の首魁に、瑠璃色の駒をその攻め手──彼自身に置き換えてね』
『瑠璃色、って……まさか……!?』
『……その様子じゃあ、知らなかったみたいだね』
 ──自分たちのトップが、どこの誰なのかを。
 激しく青ざめたシネインの疑問符に、ケレスは憐れみめいた口調で答いら()えを返した。
『‘光の槍(エヴァライムズ)’の最高責任者──今回の反乱計画の首謀者は……‘氷の魔性(ラィア・レイン)’。水の‘支配者’たる、ウォルメント・オースその人さ』
『…………っ!』
『……君も、見たでしょう?』
 唸るような舌打ちを零したレジェットを映し、ケレスの瞳が呆れたように瞬きする。
 細い両手を腰に当てて嘆息しながら、少年は不満げな調子で口を尖らせた。
『彼の執務室にあった秘密文書と、使い魔(サヴァント)の痕跡を。僕が問いただした時だって、問答無用で襲いかかってきて……口を封じられそうになった結果が、このザマさ。危ういところで何とか逃げだしたけれど……本気で、死ぬかと思ったよ』
『……俺は、未だに信じられねぇ。あいつが、反逆なんぞ……』
『真相は、おいおい彼に聞いてみるとするよ。‘西の塔’でね』
 冷えた言とともに肩を竦め、ケレスは再びシネインを見遣った。
『君たちも、いい線いっては、いたんだけどねぇ。いかんせん、相手が悪すぎたよ』
 不躾なくすくす笑いに、茫としていた少女の視線がゆっくりと上がる。
 絶望に染まった濃桃色(こいももいろ)を過ったのは、それでもなお鋭さを保った意志の刃。その内に確かに混ざった一筋の憎悪を事もなげにかわしながら、少年はおもむろに右手をもたげた。
『この世で一番の腕を持った男に、ゲームを挑むなんてさ』
『…………!?』
『呪力で対象物を縛り、見てくれ(・・・・)のみを組み替える』
 はっと詰まった短い呼気を、くつくつと響く哄笑が遮る。
 愕然と見開かれたシネインの双眸の前で、血で汚れた指がゆっくりと懐から引き出したのは……淡く煌めく光芒をたたえた、黄金の宝冠(サークレット)だった。
『理論的には、極めて簡単なことさ』
 少年の掌に乗る程小さなその身を埋め尽くすのは、恐ろしく精緻な細工と、そして目の覚めるようなピジョン・ブラッド。紛れもない皇家の象徴を纏った芸術的な形容は……しかしながら、その中央部分で真っ二つに両断されていた。
『君たちがやっきになって罵倒していたのは、これ──使い魔だったんだよ。多分、初めから何もかも承知の上で、入れ替わっていた(・・・・・・・・)んだろうね。あのひと(・・・・)らしいや』
『そ……んな……!』
 呆然たるシネインの呻きを伴に、ケレスがぎこちない動作で右腕を掲げる。
 崩れてなお妖しく光る宝珠のひとつに、芝居がかった仕草で口づけしながら……少年は再びうっそりと微笑(わら)った。
『気付いた時には、僕も相当呆れたけれど……ある意味では、これでよかったのかもね。途中経過はどうあれ、不穏分子を、一気に掃討できたんだから。これから始まる、大戦(おおいくさ)の前にね』
『…………!!』
 弾むような呟きに鋭く息を詰めたのは、羽交い絞めにされたシネインと……そして、声も出せずに佇み続けていたセレナ。
 思わずはっと立ち上がりかけたその身体を、恐ろしい速度で駆けつけたルスランが即座に捕える。一瞬びくりとおののいた翠緑玉(エメラルド)と、その反応に激しく揺れた赫色を……揶揄めいたケレスの眼差しが面白そうに捉えた。
『……口上は、これくらいにしておこうか』
 愛おしそうに宝冠をしまったケレスが、おもむろに軽く指を鳴らす。瞬間、突如その場に現れ出たのは、シネインとアースロックを捕えている美童と寸分違わぬ顔をした私民──否、自動人形(オートマタ)の群れだった。
『ルナン帝国の、地の‘支配者’ケレス・ヒルズの名に於いて命ずる。ルナン帝国第六位貴族シネイン・ユファス公、及びその私民、そして他一名(・・・)──以上三名を捕縛の上、北の塔へと収監せよ。全員、封呪は忘れずに。西の塔が空き次第(・・・・)、そちらへ移す』
『お前……!?』
 急き込むようなレジェットの声をかき消したのは、一斉に突きつけられた銀の穂先。
 呆然と顔を上げた火の‘支配者’ ──正確には、その手中に囚われたハルを囲んだ長槍の向こうで、ケレスは再び口の端を上げた。
『……おねんねしている彼はともかく、小鼠ちゃんと名無し君(・・・・)は、相当に手強そうだからね。どうせ身体に聞く事になるなら、手っ取り早い方がいい。もっとも……それでも口を割らない可能性も、十二分にあるけど。五年前の、()みたいにね』
『…………!!』
 音が聞こえそうな勢いで切歯したのはハルか、それともレジェットか。
 ともに激しく揺れた眼差しを素気なく流した‘悪戯者(ウェル・オ・ゾウル)’が、今一度合図を鳴らす。
 いよいよ狭まった包囲網に囲われた二人を見遣る大きな瞳は、矮小な鼠を狩る猛禽のそれのようにも……あるいは縋る奴隷を足蹴にする冷酷な香具師(やし)のそれのようにも見えた。
『おいたは、今度こそおしまい。さあ……次は、どんな一局になるかな?』
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