黎明を駆る者

第3章 常夜の国へ 6

『……長い、付き合いだった。私は元部下、ケレスは元同僚だ』
『同僚……』
『‘支配者’同士ってことだよ』
 歌うように言の葉を紡いだのは、あくまで自然に口を挟んだケレス。
 聞き慣れぬ言葉に眉を寄せた乙女を、素早く入ったフィリックスのフォローがすくった。
『……ルナンの貴族は皆、風火水土いずれかひとつの呪法属性を持っている。その各属性の中で最も強い呪力を持ち、かつ使いこなす事ができる四人が‘支配者’と呼ばれる呪法士だ。支配者は帝より(あざな)を与えられ、直属として特別な軍務に就くことになる。ケレスは‘地’の、ハラーレは‘風’の支配者……だった』
『その後を継いだのが、このフィリックスっていうわけ。君もよく知っている例の一件(・・・・)のせいで、位を剥奪されて投獄されちゃったからね、彼』
 弾かれたように顔を上げたセレナを見遣り、ケレスはひょこりと細い肩を竦めた。
『いきなり出奔して十五年近くも逃げ回った挙げ句、嫡子を敵国(・・)に売り渡したんだもの。そりゃあ、どんな言い逃れも通用しないよ。国家反逆罪で即、‘西の塔’送り。最期は酷いものだったよ。散々拷問された挙げ句メッタ刺しにされて、(くび)を斬られちゃってさ』
『…………!』
 息を呑んで凍り付いた乙女の様子を知ってか知らでか、相変わらずの調子で歩を進めながら、ケレスはくつくつと喉を鳴らした。
『ルナン帝国の歴史の中で、国を冠した(なまえ)をもらった支配者は彼ただひとり。フィルナ北王国をほとんどひとりで陥落させて、数えきれないくらいの敵艦を()として。‘ルナンの死神(グライヴァ・リ・ルナン)’の二つ名は、確かに伊達じゃなかった。それなのに、まさかあんな無様な死に方をするなんて……本当、残念でならないよ』
『……いい加減にしろ!』
 ついに堪忍袋の緒が切れたのか……唐突に声を荒げたフィリックスが、その足を止める。低く紡がれた言の葉は、苦々しい怒りの色に満ちていた。
『仮にも‘支配者’なら死者を冒涜するような発言は慎め!彼女の気持ちも考えろ!!』
『……おお、怖い!怒られちゃった』
 大げさに肩を竦めるも、ケレスの薄い唇から微笑が消える気配はない。
 軽い足取りで駆け出した少年を見送り、フィリックスが深くため息を漏らす。その横顔を呆然と見つめたまま、セレナは蒼ざめた声を絞り出した。
『……本当、なのですか?』
『…………』
 震える問い掛けに応えた沈黙は、何よりも雄弁な答えだったに違いない。
 勇ましくも女性らしい造形美を持つフィリックスの貌を、悲哀とも郷愁ともつかぬ色が過った。
『……君の父上は、何をされても悲鳴ひとつ上げなかった。私は、彼を無様とは思わない』
 立ち尽くすセレナに短い言葉を残し、フィリックスは素早く身を翻した。
 その広い背がどこか切なげに見えたのは、果たして乙女の錯覚だったのか。それを確かめる術を持たぬまま、セレナはただ再び歩みを進めるほかなかった。
 果てなく続いてきた路の終わりがようやく見えたのは、それから幾らも経たぬ頃だった。薄闇に包まれた廊下の突き当りに在ったのは、喰み合う双頭の龍が描き込まれた、恐ろしく豪奢な緋色の扉。
 その前には……まるで番人の如く佇む、ふたつの人影が在った。
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